ツケは払うもの、借金は返すもの - おじさんの失敗から学ぶ身の丈のファイナンス《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)
「借金は返さなくてもいいんだよ」
池袋駅の通路を速足で歩いていたとき、そんな趣旨の看板が目に飛び込んできた。「え? どういうこと?」とまどって、ちょっと足が止まった。
「……だってうちは質屋だから」
看板にはそんな趣旨の添え書きがあった。なるほどね。質屋さんの看板でしたか。
質屋さんは顧客の持っている宝石なり貴金属なり、それなりの価値のあるモノを質物としてカタにとってお金を貸してくれる。顧客が返すべき金額を期限までに用意できなくても、質屋さんが借金の取り立てにくることはない。質物の取り戻しさえ諦めれば、質屋さんからの追求は一切ない。質物が顧客の手を離れることは質流れと呼ばれることもある。
私自身は、質屋さんを利用してお金を借りたことはない。不動産を買ったこともないので、大きな借金もしたことはない。
社会に出るまで、モノの代金というものは、その場でお支払いするのが当たり前のものだと思っていた。新入社員のとき、勤務先の研修資料に出てきた「売掛金」という言葉も知らなかったバカな私は、先輩にその意味を問うて
「飲み屋のツケだね」
と教えられ、あぁ、そうか、と一応納得したものの、酒飲みの人びとはなぜその場で飲み代を支払わないのだろう、と不思議に思ったりもした。
しかし、今の私は、日々の生活の中で細々した、あるいは、ちょっとした金額のツケを、殆どそれと意識せずに負担している。クレジットカードでの決済がそれだ。
法律構成はともかく、経済的には借金のようなもの。モノを買う。サービスを受ける。その場で払うべき金額を、日延べして後払いにしてくれる仕組みがクレジットカード決済。支払期限まで支払いを待ってもらっている点では、その金額を借金したのと同じこと。
クレジットカードを使い始めたのはいつだったろう。学生時代は、そんなカード、持っていなかった。銀行のATMすら、今のようには普及してはいなかったので、小遣いやバイト代を入れる口座のキャッシュカードが一枚あったか、なかったか。
記憶を辿ると、初めて自分名義のクレジットカードを手にしたのは、社会人になった30年ほど前、ファッション企業の、特徴的な色で知られたカードを作ったときのこと。是が非でも欲しいものがあったわけではない。社会人になったら、クレジットカードのひとつも持っておくのだろうと漠然と思ったから、会社帰りにわざわざ作りに行ったのだ。カードを作ったはいいけれども、ファッションに興味もなかった私がそれを使うことはなかった。
次にカードを意識したのは、初めての海外出張のとき。上司から、アメリカでは現金を持ち歩くものではない、そして、私の持っていた特徴的な色のカードは日本の外では通用しないからインターナショナルカードを作れと言われ、慌てて海外に本拠のあるクレジットカードを探した。どこが、どんな特徴を持っているのかなんて知らなかったから、審査が厳しい会社を、そうとは知らずに選び、電話を掛けて用件を告げた。
「……というわけで、急いでカードを発行して欲しいのです」
私の話を聞き終えた、電話の向こうの担当者は、一息おいてこう告げた。
「お客様。当社のカード発行基準をご存知ですか」
「いえ。すいません。知りません」
「3つございます。お勤め先で部長クラス以上、ご自宅をお持ちで、ご家族のある方に限定させて頂いております」
どれひとつとして当てはまらない。今でも当てはまらない。
「す、すみません。またにします」
「また、っていつだよ」と自分突っ込みをしながら慌てて、受話器をおいた。敷居高いよ、クレジットカード。勤務先の先輩に教えてもらって、何とか海外で通用するカードを作り、出張には間に合った。
クレジットカードで、買いものをし始めたのは社会人になって3年目くらいか。ちょっと値の張る家電とか、少し後になるとパソコンなんかを、いわゆるボーナス払いにするために「カード使えますよね?」と確認することを覚えた。
今、お金がなくとも近未来に私の銀行口座に入金されるはずのボーナスで払えばいいのだ。なるほど、クレジットカード、便利じゃん。
当時は、まだ経済は右肩上がりだったので、ボーナスはまとまった金額が確実に出るもの、そして収入は緩やかながら上がっていくべきもの、と固く信じて疑わなかった。いずれ自分のものになる金額の先取りだ、と。
こうして、私はクレジットカードを取り出すことに抵抗を感じなくなり、使うことに慣れていった。
ある春先のこと。友人の結婚式を翌日に控えた土曜日の夕刻、ご祝儀として包むべき一万円札が手元にないことに気付いた。
「あちゃー」
当時、銀行のATMは土曜日の3時くらいで止まった。どうするかな。今さら欠席ってわけにもいかないしな。街中を歩きながら、ふと「キャッシング」と書かれたATMボックスに、私の持っているクレジットカードのロゴが付いているのを見つけた。
「キャッシングって、ちょっとお金を用立ててもらうってことだよな」
あやうい理解で自分を納得させながら、ATMボックスに入る。ちょっと鼓動が速くなる。
カードを入れて、キャッシングのボタンを押す。
金額入力画面が出た。
明日のご祝儀に必要な一万円札の数字と暗証番号とを打ち込む。
カタカタカタカタ。
機械がお札を数える音がして、手元の出金口が開いた。一万円札が数枚、目の前に現れた。
助かった! 取り出すと、どれもピン札。
クレジットカード、優秀! 使えるじゃん。
ご祝儀も、頼まれたスピーチもクリアし結婚式を乗りきった私には「クレジットカードを使えるのが大人の証」という刷り込みが生じた。
同世代の友人、知人に聞くと、キャッシングの経験者も結構いた。それからというもの、ちょっと浪費をした給料日前に、手元不如意が生じると抵抗なく、キャッシングを使うようになった。
一回、一回は大した金額ではない。
そのうち、クレジットカードで買ったり、借りたりした金額は「リボ払い」という方法で返済できることを知る。利用金額や件数に関係なく、月々の決済金額を自分の決めた一定金額にできるのだという。クレジットカードで浪費した翌月は、結果的にその浪費分の決済が必要になり、自転車操業的なしんどさを感じることがあった私は「これなら計画的にご利用できるよな。これまたクレジットカード、優秀!」と飛び付き、支払い方法をリボ払いに切り替えた。
支払いの切り替えで、月々の支払いは安定する。「先月使いすぎたから、今月自重しなくちゃ」という気遣いの必要がなくなる-これは大人の生活者として絶対に必要な気遣いであったにも関わらず!
そしてリボ払いの設定は、改めて利用月〆翌月払いの決済に切り替えるまでずっと続く。
ある年のボーナス時期、ふと、ボーナスでこれまでのクレジット利用額を払いきってしまおうと思い立った。まだ金融機関もネットでの情報提供を本格的には始めていなかったので、担当窓口に電話を入れて、一括返済したいことを告げて、金額を計算してもらった。
そこで告げられた金額は、私のざっくりの計算を超えていた。
「はい? 合計金額、もう一度教えて頂けますか」
「○万○千円になります」
「それ、私の金額ですか」
「はい。ご利用金額とリボ払い分についてはご利用手数料の合計で計算しております」
月々同額の支払いが続くことに油断した利用金額は、私の想定と経済的余裕を超えて、ふくらんでいた。さらにリボ払いには手数料というものが必要だったのだ。慌てて、クレジットカードの利用規約を探し出し、手数料率を見る。高い……。
リボ払いに切り替えたのいつだっけ。過去の利用明細をかき集め、改めて計算すると、既に支払い済みの手数料を足し合わせた金額は、想定の遥かに上をいく数字に上っていた。
ボーナス一括払いのツールのつもりで使い始めたクレジットカード。その時、その時の便宜にばかり目が向いて、経済的実質が借金であることをまったく失念していた。不覚。
すぐにリボ払いはやめた。クレジットカードでのキャッシングもやめた。
それでも、月次でまとめて支払えて-月次支払いであれば殆どの場合、手数料もかからない-ポイントも貯まるクレジットカードは便利なツールだという基本認識は変わらなかった。
特に、2000年代以降、オンラインショッピングが極めて多くの商品、サービスをカバーするようになると、私も書籍や日用品、贈答品など多くの商品をオンラインで発注するようになる。オンラインサイト企業は、品ぞろえや価格、配達の速さを競い合い、さまざまな業種でリアルの店舗の存在を脅かすまでに成長し、私の生活にも不可欠のインフラとなった。
そして、そこでの決済は殆どすべてクレジットカードで行われていた。
豊富な品ぞろえと容易な発注、速い配達。
「ポチる」と可愛く呼ばれるオンラインショッピングは、私の購買意欲を否が応にも高めてくれた。自ずと、毎月のクレジットカードの明細金額も家計支出の大きな部分を占めるに至る。本、家電、服、薬、贈り物、コンタクトケア、プリンタのインク、トイレ掃除の取り替えブラシ……。
ポチるもたまると山となる。
リアルの店舗で現金で買うとしたら、こんなに思い切りよく購入行動を起こしているだろうか。ある時、明細を見ながら考えた。
支払いをクレジットカードに「任せた!」オンラインでのポチりには、リアルな「財布と相談」という熟慮期間のおきようがない。
これって、どうなんだ。
さらに、クレジットカードとの付き合い方を改めて考えるようになったのは、私の年齢だ。勤め人である私には、いずれ定年という現実が訪れる。勤め人として仕事人生を送ってきた私は、雇われることによってしか、自分のなけなしの能力を換金することができなかった。その日が来れば、起業なり、他のなりわいを見つけない限り、リアルな財布と相談せずに消費行動を起こすことはできなくなるはずだ。
手数料や利息なしの元本-正味の購入金額だけだとしても、クレジットカード会社から私に与えられた信用-それが支払いの猶予だ-に乗っかってモノやサービスを買って、後からお支払いをする行動パタンは、私自身の将来のキャッシュフローを先食いしていることに他ならない。
これって、どうなんだ。
質屋さんからお金を融通してもらうときには、失っても仕方がない価値ある質草をお預けするから、既に条件付きながらリアルな痛みを感じている。そして質流れを覚悟すれば、質屋さんからの取り立てはない。
でも、プラスティックマネーと揶揄的に呼ばれることもあるクレジットカードの利用は、その時には痛みを感じない。今のリアルなお財布との相談も起こらない。担保をとっていないクレジットカード会社は、現金を回収するまで請求をやめない。
「信用」してもらっての、将来の先食い。人生には限りがあります。もちろんカードに助けられたこともたくさんあったのだけれど、頼り過ぎると、キャッシュフロー計画に破綻が生じたときにはリスクあり。
こんなことに、齢50歳をずいぶん超えて、今さら気付いた私は小手先のテクニックとしてオンラインショップの登録カードを銀行の残高だけしか使えないデビットカードに切り替えつつあるけれども、より根本的には、身の丈にあったお金の使い方、そして、自分の能力なり資質をお金に換える方法をあれこれ多様化しておく方法を考えなきゃな、と今さら思っている。
おじさんも考えるので、この時期、社会に出た若い人、あるいはまだ学生の人たちも、おじさんの過ちから学んで、早い時期にお金との付き合い方を考えた方がいいかな、と。
街には、若い人たちをターゲットにしていると思われる、スタイリッシュなキャッシングとやローンの広告があちこちに見えますけど、その仕組み、ちょっと立ち止まって考えてもいいかもしれませんよ。
池袋駅のぶっきらぼうな質屋さんの広告も思い出しながら。
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